佐藤 公俊 『ナニするアソビバ?ヒタすらアソブバ!』主宰 福岡県出身
佐藤 綾 『ナニするアソビバ?ヒタすらアソブバ!』共同主宰 埼玉県出身
2024年移住
日本工業大学からほど近い「学園台けやき公園」で、その広さに負けないくらいに駆け回る子どもたち。この場をつくっているのは、『ナニするアソビバ?ヒタすらアソブバ!』(以下『ヒタビバ』)の佐藤さんご家族。何度かの転居の末にたどり着いた宮代町。暮らしの中で出会った人たちとの関わりが、思いがけず広がっていった日々についてお話を伺いました。
遊びを積んで どこまでも

公俊さん:遊び道具をたっぷり積んだ黄色い軽バンで、町のあちこちへ出向いています。遊び場を車に乗せて、いろんな場所へ出向いていく、いわゆるプレイカーや移動式遊び場の活動です。
『ヒタビバ』を始めたのは、今からおよそ5年前。それまでは、一つの土地に長く留まる暮らしではありませんでした。直近では山口県宇部市、その前は大分県日田市。さらにさかのぼると、関東で常設の遊び場づくりにも関わってきました。
常設の遊び場で活動する中で、やりがいを感じる一方、こんな思いも生まれてきました。「来てくれる子には届くけれど、その周辺の子にしか届かない。いろんな場所に出向いていく遊び場も、きっと必要だよね」と。そんな思いから始まったのが、『ヒタビバ』です。
新天地を探して

公俊さん:宮代に移り住む前は、九州を中心にいくつかの土地で暮らしてきました。とくに大分県では、山奥に住んでいて、標高で言うと400から500メートルほど。人口800人ぐらいで、半分が高齢者、そんな地域でしたね。
山口県では、たまたま近所に自然保育の園があって、そこに子どもを通わせていました。子どもたちがすごく楽しそうに日々暮らしていて、そういう環境を継続できたらいいな、という思いが一番ありました。
そんな中で、環境を変える転機が訪れました。暮らし方や働き方を改めて考える中で、関東へ移ることも選択肢の一つとして浮かんできました。
もともと関東に住んでいたこともありますし、これまで各地で活動してきた中で、子どもの遊び場づくりに関わる仕事は関東のほうが多いという実感もありました。子どもたちが「遊びたい」と思ったときに応えられる場をどうつくるか。その実践の場を広げるには、関東のほうが選択肢が多かったんです。
最終的に埼玉県越谷市で仕事が決まり、そこに通える範囲で住む場所を探すことになりました。春日部市や越谷市、さいたま市など、いくつものエリアを見て回り、子育て環境も含めて住む場所を考えていきました。
空の広い町で

公俊さん:山口県も割とのんびりしたところだったので、街中のごみごみしたところよりは、のんびりした場所で、子育てしながら暮らせたらいいよね、と二人で話していました。そんなときに、宮代の『森のようちえん』を見つけたんです。
綾さん:もともと『森のようちえん』というワードは知っていました。関東に来るなら、都市部でも、そういう考え方の保育のところで子どもたちを育てたいなと思っていて。そしたら、宮代にあるじゃないか!という感じで。
最初は、越谷と宮代の間ぐらいに住む選択肢もありました。でもやっぱり、子どもたちが育つ地域に住んで、夫に通勤は頑張ってもらおう、ということで。暮らしを優先したいよね、と。子育てするにも良さそうだし、都会すぎないところがいいなと思いました。
綾さん:宮代町のことも以前から知っていました。東武動物公園のある町、幼い頃に行ったことがあるな、ぐらいのイメージでした。
一回、見に来たんです。二人で不動産屋に行って、たくさん物件を見て。そのあと近くのお店でカレーを食べて、ちょっと癒やされました。来てみて、「ここなら住めそうだな」という感覚はありました。のんびりした町なんだろうなと。結構コンパクトな町っぽいから、そういう暮らしのほうが自分たちには合うかなと思って。
公俊さん:高い建物がなくていいね、落ち着くよね、空が広くていいわ、と話していたんです。
綾さん:実際に暮らし始めてみると、宮代町は「来てみたら面白かった」って感じです。面白い人がいっぱいいたぞ!って(笑)。
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――子どもたちが通う『森のようちえん』は、子どもたち一人ひとりの主体性を大切にする場所だといいます。
公俊さん:自然の中に身を置いて、その中でやりたいことを大事にしつつ、喧嘩しても全然大丈夫だよ、と。そういう場を保証してくれている。まさに、僕たちがずっと求めていたことです。
綾さん:乳幼児の時期に大事なものって、自然の中に全部あるよなって実感があります。人が作った箱の中で春夏秋冬を過ごすのは、もったいないと思うんです。
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綾さん:寒すぎるとか、風が強すぎて火がつかないとか。そういうことも含めて、いいんじゃないかなと。口で説明するより、体感として知っていることのほうが根強く残ると思うんですよね。
公俊さん:子どもたちは、何もない場所から遊びを生み出していきます。何もないからつまらない、ということはない。
綾さん:自分たちで生み出す力を、すごく育ててもらっている気がします。その姿を見て、大人として反省することもあります。
公俊さん:一方で、子どもたちが自分たちで遊びを生み出していくという感覚は、まだ世の中では当たり前ではないと感じる瞬間も多くあります。だからこそ、移動式の遊び場の活動を続けています。子どもたちの力と、社会の認識とのあいだにあるギャップ。それが活動を続ける原動力です。すぐに変わるものではないけれど、少しでもそのきっかけになればいいなと思っています。
町に溶け込んでみて
公俊さん:暮らし始めて感じたのは、宮代の人たちってイベント好きだな、って(笑)。毎週のように、どこかで誰かが何かやっているよね、と話しています。
綾さん:自分で楽しいことをやっている人が多くて、それをお互いに応援し合う空気があります。人がやっていることを面白がるの、みんな好きですよね。だからこそ、私たちもやりやすい。波長が合うと感じます。
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綾さん:地方で暮らしていたときは、地域のご年配の方々にすごく大事に、可愛がってもらっていました。こっちに来たら、きっとそういうのはないかなと思っていたんですが、今も変わらずで(笑)。地域の方たちがすごく可愛がってくれていて、ありがたいですね。
公俊さん:家の前で何か作っていても「楽しそうだね」って声をかけてもらえるし、にぎやかにしていても「いつも楽しそうね」って言ってくれる人がたくさんいるんです。
これまで家の周りにあまり子どもがいなかったので、同年代の子がいるというのは、子どもたちにとっても大きいと思います。お迎えの時間に周りから声が聞こえてくる、ということもなかったので。
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綾さん:図書館には毎週のように行っています。貸出点数の上限がないから、30冊ぐらい毎回借りて。引っ越してきて、まだ土地勘もないときに、どこで過ごそうかなと思って。とりあえず図書館に行こう、という感じでした。図書館で開かれていたイベント『大人と子どものための16ミリ映画会&童話と絵本の会』では、16ミリフィルムでチャップリンとミッキーマウスの映画を観ました。長男はそれまで映画館で映画を観たことがなくて。あれが映画デビューでした。
――そして、宮代で暮らす中で生まれたのが、月に一度の遊び場『フダンギのあそびば』(以下『フダンギ』)です。
公俊さん:その名の通りで、普段着のように、スウェットのような格好でも別にいいというのんびりした形で、現地に着いてから何をするか考える。そんなドラえもんの空き地みたいな感じというか、そこに集っている人たちで、思いついた面白そうなことをやってみようよ、って。気づけば『フダンギ』に集まる人たちは、子どもより大人のほうが多かったりして(笑)。面白がってくれる大人がいっぱいいて、その大人たちも何をするでもなくワイワイ集まって、ああだこうだと世間話を始めるんですよね。
『ヒタビバ』では、プレイカーで地域を回り、その場その場に遊び場をひらいてきました。けれど、移動式だからこそ、同じ場所に継続して関わることの難しさも感じていました。
綾さん:「毎月ここにいるよ」という形が、なかなか叶わなくて。「単発のイベント屋さん」になってしまう感覚が、すごくもどかしかったんです。もっと根源的にやりたかったのは、先月が今月へ、昨日が今日へと続いていくような関係性でした。そのため、『フダンギ』は、毎月きちんと開こう、というところから始まりました。小さくても続けることに意味があると思っていて。継続する関係の中で生まれるものを楽しみたいなと思っています。
公俊さん:遊び場づくりをしようと始めた活動でしたが、結果的には、自分たちが町に溶け込んでいくきっかけにもなりました。遊び場を開くことが、人と出会い、つながりを広げていく入り口のような役割を果たしていたのだと思います。
綾さん:暑い夏の日に『フダンギ』をやっているとき、近所の方がホースを引っ張って水を撒いてくれたこともありました。「本当に面白い人が多いね」と、よく二人で話しています。
公俊さん:プレイカーでさまざまな場所に出向くことは、「遊びの種」を運ぶ役割を担っているのだと感じています。その種が芽を出し、どのように根づいていくかは、出会った子どもたち一人ひとりに委ねられています。けれども、それを自分たちが暮らす宮代で行うのであれば、少し意味合いが変わってきます。種を運ぶだけでなく、その種がしっかりと芽吹き、育っていくための土を耕すこともまた、この町に暮らす僕らの役割なのかなと思います。

のんびり 遊びにおいで
――そうして始まった『フダンギ』は、今では暮らしの一部になっています。唯一の休みである日曜日を、自然とその場所にあてるようになったそうです。
公俊さん:自分の子育てを楽にしたい、という思いがいちばん大きいです。あとは、自分が暮らす地域に、自分がちゃんと関わっていたい、という気持ちですね。仕事で町を離れる時間が多いからこそ、地域の中にいる時間を大切にしたいです。
遊び場をやっているというよりは、地域のことに関わっている感覚のほうが強いです。好きでやっていますし、『フダンギ』をやっているときは、子どもたちが勝手に遊んでくれるので。頑張ってやっているというより、暮らしの中で当たり前にある感じです。地域の人とおしゃべりするのが楽しいし、それが結局、自分たちの暮らしの関係性づくりになっています。
イマドキの言い回しで言うと、「居場所づくり」という言葉になるのかもしれない。でも、やりたいことは居場所づくりじゃないんですよね。それぞれがやりたいことをやっているだけだから。結果として、居場所になっているだけというか。“居ていい”場所だよと言われても、それは“居たい”場所ではないかなと思うので。
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――今後についても、夢が膨らみます。
綾さん:ずっと絵本屋さんをやってみたいと思っていました。絵本を届ける人になりたいな、と。
もともと、遊び場の活動の中にも本があるといいなと思っていました。『わたしたちの月3万円ビジネス in宮代杉戸』※ に参加したことがきっかけで、ぼんやりしていた構想が少しずつ形になってきました。
(※『わたしたちの月3万円ビジネス in宮代杉戸』…宮代町と杉戸町が主催する、やりたいことや得意なことを生かして小さな仕事を生み出す実践型のプログラム。)
遊び場のある、移動式の絵本屋さん。街の中に出向いていって、遊んでいる人もいるし、本を読んでいる人もいるし、そこで本も買える。よくわからない、謎の絵本屋さんになりたいんです。絵本作家さんの子どもへのまなざしがすごく好きで。教えたり、しつけたりする対象じゃなくて、一人の人間として面白がっている。そのユーモアが町にあふれたら楽しいだろうなと思いました。
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▲ 移動型絵本屋「たんぽぽブックス」
公俊さん:これからも、大人も子どもも集える場があればいいなと思っています。形は何でもよくて、それぞれが好きなことを持ち寄れる場所。お酒を飲んでいてもいいし、何か作っていてもいいし、にぎやかにしてもいいし、遊んでいてもいい。そのくらいの温度感で、「ちょっと近くに来たから顔見に来たよ」みたいな感じで。のんびりとした空気感の場所があるといいな、と思っています。
綾さん:大人も子どもも関係なく、ふらっと来て、おしゃべりして、子どもたちは好きに遊んでいられる空間。関心が似ていなくてもいいけれど、まぜこぜの場所が町にあったら楽しいですよね。
公俊さん:宮代町は、「来てみたらよかったよ」と思える町です。どうぞのんびり遊びにおいで、うちが遊び場をやっているときにおいで、と。これまで転々といろんなところに住み続けてきた根無草ですけど(笑)、その根無草が「良かったよ」と思うくらいには、良かった町ですね。
宮代町は

ちょうど良いまち。
何をするにもちょうどよく、暮らすにも新しいことを始めるにも無理がない。僕たち家族にとって、心地よい町です。
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【編集後記】 佐藤さんご家族にとって、遊びは特別なものではなく、暮らしの中に溶け込んでいるのだと感じました。子育ても、地域との関わりも、どれも切り分けられるものではなく、自然とつながっている。そして何より、宮代町という土地のやわらかな空気、人が人を面白がり、応援し合う風土。そんな和やかな雰囲気も、きっと皆さまに伝わったのではないでしょうか。 取材日 令和8年1月27日 |
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